神の帳簿は一銭の間違いもなく収支が相償うようになっております。
つまり人間の行為の一つひとつについて、その賞と罰とが正確に与えられます。
これを別の言い方をすれば、原因があれば必ずそれ相当の結果があるということです。
いかなる苦難にもそれ相当の償いがあり、体験を積めばそれ相当の教訓が身につきます。
片方無くして他方は有り得ません。
体験もせずにどうして教訓が得られましょう。
そして教訓を学んだ時から、その教訓を生かす義務が生じます。
何も知らずに犯した罪よりも、悪いと知りつつ犯した罪の方が重いに決まっています。
あなた方は内部に完全性を秘めそれを発揮せんとしている未完の存在です。
地上生活においては物質と霊との間がしっくりいかず常に葛藤が続いている以上、あなた方は当然のことながら罪を犯すことになります。
私はこれを "過ち" とよぶ方を好みます。
もし過ちを犯さなくなったら、地上にも私どもの世界にも誰一人存在しなくなります。
あなた方が地上という世界に来たのは、霊的な力と物質的な力との作用と反作用の中においてこそ内部の神性が発揮されていくからです。
光を有難いと思うのは蔭と暗闇を体験すればこそです。
晴天を有難いと思うのは嵐を体験すればこそです。
平和を有難く思えるのは闘争があればこそです。
このように人生は対称の中において悟っていくものです。
もしも辿る道が単調であれば開発はないでしょう。
さまざまな環境の衝突の中にこそ内部の霊性が形成され成熟していくのです。
『シルバー・バーチの霊訓(1)』
(近藤千雄訳)
不安・苦しみ・悲しみ
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