教える立場に立つ者は自らが学ぶ者としての然るべき体験を積まなくてはなりません。
霊的教訓は他人から頂戴するものではありません。
艱難辛苦ーー辛く、厳しく、難しく、苦しい体験の中で自らが学ばねばなりません。
それが真に人のために役立つ者となるための鉄則です。
そうでなければ有難いのだが、と私も思うことがあります。
しかし側の者には分からないあなただけの密かな霊的覚醒、霊的悟り、魂の奥底からの法悦は、そうした辛い体験から得られるものです。
なぜならその艱難辛苦こそ全ての疑念と誘惑を蹴散らし、祝福された霊として最後には安全の港へと送り届けてくれるからです。
これも神の摂理として定められた一つのパターンです。
霊的成就への道は楽には定められておりません。
もし楽に出来ておれば、それは成就とは言えません。
楽に得られるものであれば、得るだけの価値はありません。
人のために役立つためにはそれなりの準備が要ります。
その準備を整えるためには魂の琴線に触れる体験を積み、霊位を開発し、心霊的能力を可能なかぎり霊的レベルまで引き上げなければいけません。
心霊的能力を備えた人は大勢います。
が、それを霊的レベルまで高めた人は多くは居ません。
私たちがかかわるのは霊そのものの才能であって、霊的身体(幽体)のもつ能力、つまり肉体の五感の延長でしかないものには、たとえ地上の学者がどんなにおもしろい実験をしてくれても関心はありません。
私は決してそれを軽蔑して言っているのではありません。それにはそれなりの意味があります。
地上には、自分を変えようとせずに世の中の方を変えようとする人が多すぎます。
他人を変えようと欲するのですが、すべての発展、すべての改革はまず自分から始めなくてはなりません。
自分が霊的資質を開発し、発揮し、それを何かに役立てることができなければ、他の人を改める資格はありません。
地上人類の霊的新生という大変な事業に携わっていることは事実ですが、それにはまず自分を霊的に新生させなければなりません。
真の自我を発見しなければなりません。
心を入れ替え、考えを改め、人生観を変えて、魂の内奥の神性を存分に発揮しなければなりません。
『シルバー・バーチの霊訓(1)』
潮文社、1988、
pp.162-164
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