妻の他界
- Yoshio Kobayashi
- 10月21日
- 読了時間: 3分

私たち夫婦には子供がいませんでした。
ですから 二人で仲良く大事に暮らしていました。
仲のいいおじいちゃんとおばあちゃんになってのんびり暮らすのが私たちの夢でした。
妻は私と一緒に死ぬと笑顔で言っていました。
その妻の願いは叶うことは出来ませんでした。
四十八歳の若さで「他界」です。
昔の私は「妻が亡くなった」と言っていました。
今の私は「妻が亡くなった」や「妻が永眠した」などとは言いません。
今の私は「妻が他界した」と言います。
妻は亡くなっていません。
他界しただけです。
ある日、妻が婦人科の病院に行ってくる、と言いました。
婦人科の病院から帰ってきた妻は明日中に必ず某総合病院に行くように言われたとのことです。
とても 嫌な予感がした私は会社を休んで一緒に総合病院に行きました。
予約をしてなかったので朝に行って、診察してもらったのは、夕方でした。
待合室のソファーで待っていた私のところにきて、妻が言った言葉を今でも忘れません。
「ごめんね、子宮頸癌だったよ。」
いつも冷静で心が強い妻は少し 微笑みながら言います。
そして、某がんセンターへの紹介状を私に渡す妻。
私は頭が真っ白になり、妻になんと声をかけていいかわかりません。
車に乗ってからも黙っている私。
心が強い妻が明るくいつものよう言いました。
「お腹空いたから 回転寿司に行こうよ。今日はたくさん食べるよ。」
「うん そうだね たくさん食べよう。」
頑張ってそういうのが精いっぱいの私は妻に比べてなんて情けないのでしょう。
この日が私の人生を大きく変える始まりの日になりました。
この時は妻の病気は治ると信じていました。
他界するなどとは思ってもいません。
でも、もしかすると身近な人が死ぬかもしれない。
「死」については子供のころから恐怖があります。
小学校低学年のころ、一か月一回ぐらい「死」の恐怖で寝られなくなり、母の布団に潜り込みます。
「怖い 怖い」と泣いている私に母はいつも「大丈夫 まだ 死なないから」と言って笑っています。
小学校高学年頃からは遊びなどいろいろ忙しくなって、「死」についてはほとんど考えなくなります。
「死」を考えることが嫌なので学生時代は勉強や遊びに、社会人になってからは仕事や遊びに夢中になりました。
これは無意識でしたが、「死」を考えるのを避けるためだったのには間違いありません。
「死」を恐れていた私が一番大切な人の「死」を見届けることになったのです。
妻の「死」から一年間 私は泣き続けます。
会社で仕事をしていても ふとしたことで妻を思い出し、トイレに行って声を押し殺して泣くことも何回もありました。
一年間 泣き続けたある朝 自分でもびっくりすることが起きます。
その日から妻のことを思い出して、泣くことは一切なくなりました。
(事務局 コバチャン本舗)




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