事業に失敗
- Yoshio Kobayashi
- 10月27日
- 読了時間: 3分

「お金」の話が続きます。
私はお金が身につきません。
三十才から十数年間 給料の四割ぐらいの養育費をお渡ししていました
いろいろ考えた結果、彼が一才の時にお別れしました。
彼には申し訳ない気持ちでいっぱいで自分にとって目いっぱいの金額をお渡しすることにしました。
十数年経って、養育費をお渡しするのが終わった後、十坪ほどの路面店でインテリア雑貨のお店をオープンしました。
私はサラリーマンを続けたままで、お店の店長は妻です。
私も妻もこの仕事の経験者だったので仕入れ先も知っており、スムーズにオープンできました。
資金は保証協会から簡単に借りることができました。
養育費と同じぐらいの返済だったので、あまり儲からないながらも、リスクもあまりない、ショップ運営でした。
ところが当時は大チャンスと思われることが起こります。
ひょんなことから大手スーパーの専門店ゾーンに出店する話が湧き上がってきたのです。
さらに借金をしなくてはなりませんし、返済金額も三倍以上になってしまいます。
今の私なら霊的真理を何回も読んで、良心から湧き上がってくるインスピレーションに従って決断します。
しかし 霊的真理を知らなかった当時、欲だけで簡単に出店を決めたのです。
追加の融資もうまくいってしまいました。
最初の一年二年はまあまあの売り上げでしたが、三年目に競合店の出店があり あっという間に前年比50%に落ちてしまいました。
返済が全くできなくなって、お店は退店しました。
多額の借金が残りました。
自己破産はしなくて済みましたが、債務整理で夜も眠れない日々が続きました。
心の強い妻はそんな時もよく寝ていました。
私の勤めている会社からの借り入れもできて、やっと生活が落ち着いてきました。
仲のいいおじいちゃんとおばあちゃんになってのんびり暮らしていこう。
前にも書きましたが、この様に話しているころ 妻が癌になったのです。
いつも明るくしている妻でしたが、実は相当のストレスを負わしていたに違いありません。
妻が他界してしばらくして気が付いたのですが、家の電話の呼び出し音がOFFになって聞こえなくなっていました。
督促の電話が嫌だったのでしょう。
そのようなことは一言も言っていませんでした。
妻なりに苦しいことはあったと思いますが、一言も私に言いません。
妻が他界して 号泣していたのは 私のせいでいろいろ苦労をかけた上に病気の痛みで苦しんでいる姿でした。
あの我慢強い妻が痛がっていたのです。




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