霊的真理に助けられる
- Yoshio Kobayashi
- 10月28日
- 読了時間: 2分

霊的真理に出会う前と妻が他界して、霊的真理に出会った後では私の人生は全然違います。
特に霊的真理に出会って一年後の腑に落ちた時からはさらに違います。
幼いころ、なぜ「死」が怖かったのか。
なぜ お金が身につかないのか。
あれほどの仲の良かった妻がなぜ、四十八才の若さで他界したのか。
今の私には今の私のレベルでわかります。
また 私のレベルが上がれば、そのレベルでのわかり方があるでしょう。
妻が他界して まず目についた言葉は、死ぬということは決して悲劇ではないということです。
そして、死は肉体の牢獄から解放されて、痛みも苦しみもないという意味のことも言っています。
たくさんの苦労をかけた上に最後は病気の痛みで我慢強い妻があれほど、痛がった姿。
この光景が目に焼き付いている私には、他界した妻には痛みも苦しみもないということを否定することができません。
霊的真理を知った最初の一年間は、毎日 霊的真理を読み、自分で作っ霊的真理の動画を見て、癒されていました。
霊的真理に癒されて 助けられた私です。
しかし 一年たって霊的真理は助けられるためにあるのではないことが分かりました。
前に書いたように一年たって 妻のことを思い出して号泣することが無くなり、霊的真理が腑に落ちてきた数か月後の朝、また叫んでいました。




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