霊的真理を学ぶ「大切な概念の因果律」

霊的真理を学ぶ
「大切な概念の因果律」
前回は「魂は永遠」が霊的真理を学ぶ上で受け入れるべきとても大切な概念というお話をしました。
次に大切な概念が「因果律」だと私は思っています。
「善因善果」「悪因悪果」という言葉があります。
ここで、突然話は変わります。
私の話は突然、あちこちに行くのでご注意ください。(笑)
私は20代後半からクルマの必要な地域に住むようになりました。
20代後半の頃は追い越されるのが嫌いなドライバーでした。
妻が私のクルマに同乗するようになってから私の運転はスピードを落とした優しい運転に変わりました。
妻は私のクルマの助手席に22年間同乗しました。
私は模範ドライバーでした。
妻が他界して一人でクルマに乗ることが多くなった時、いつの間にか運転が雑になってきました。
「これはいかん」と思い、優しい運転に戻るために次の二つことを決めました。
1.他のクルマに道をゆずる。
2.歩行者の横断を助ける。
1はコンビニの駐車場から道に進入しようとしているクルマなどには停車し、進入できるようにしました。
2は信号のない交差点で歩行者が待っている場合、必ず止まって横断できるようにしました。
この二つをやってみると実に気持ちがいいのです。
この善き行為は神(天・宇宙)が私たちに与えてくださった「良心」から行っている行為なので気持ちよくて当たり前なんですね。
そして ドライバーからハザードランプの点滅でお礼をしていただくと嬉しくなります。
特に小学生などが横断した後、お辞儀などをしてもらうと本当に嬉しいですね。
でも、ここに気を付けないといけないことがあります。
私はとても気を付けています。
それはお礼をしてもらわないと「せっかくゆずってやったのに・・」とお礼を期待してしまうことです。
このようになるとお礼という見返りを求めた利己的な行為になってしまうのです。
話が急に戻ってきます。
「善因善果」は「善果」という見返りを求めないで行う行為です。
「善因善果」は「良心」という神(天・宇宙)が与えてくださったものが自然と顕現したものです。
「善因善果」は「善果」を意識せず求めないようにしますが、「悪因悪果」は「悪果」を十分に意識しましょう。
ここでシルバーバーチの言葉です。
(ここから)
業(ごう)というのは詰まるところは因果律のことです。
善因善果、悪因悪果というのも大自然の因果律の一部です。
その働きには何者といえども介入を許されません。
これは神の公正の証として神が用意した手段の一つです。
もしも介入が許されるとしたら、神の公正は根底から崩れます。
因果律というのは行為者にそれ相当の報酬を与えるという趣旨であり、多すぎることもなく少なすぎることもないよう配慮されています。
それは当然個人だけでなく個人の集まりである国家についても当てはまります。
『シルバー・バーチの霊訓(4)』
自然法則の根本はあくまでも原因と結果の法則、つまり因果律です。
業もその法則の働きのなかで消されていくのであって、途中の過程を飛び越えていっぺんに消えることはありません。
原因があればかならず相当の結果が生じ、その結果のなかに次の結果を生み出す原因が宿されているわけで、これはほとんど機械的に作動します。
質問者がおっしゃるように、ある人が急に愛と奉仕の生活に入ったとすれば、それはそれなりに業の消滅に寄与するでしょう。
しかし、いっぺんにというわけにはいきません。
愛と奉仕の生活を積み重ねていくうちに徐々に消えていき、やがて完全に消滅します。
業という借金をすっかり返済したことになります。
『シルバー・バーチの霊訓(4)』
(ここまで)
次回は「自由意志と良心」についてお話します。
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[氏名]: 事務局 コバチャン本舗
[ホームページ]: https://www.healing-iyashi.com
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