霊的真理を学ぶ「心配・恐怖・取り越し苦労」

霊的真理を学ぶ「心配・恐怖・取り越し苦労」
今回は「心配・恐怖・取り越し苦労」についてです。
今回は、申し訳ありませんが、私の話をたくさんしてしまいます。
なぜなら、私の人生は心配との闘いだからです。
私の5歳ぐらいの頃の心配で恐怖だったのは、死と戦争でした。
一人で寝ていると死の恐怖がやってきて、戦争の恐怖がやってきます。
特に死の恐怖で怖くて眠れないときは母の布団に入って「死ぬの怖い」と泣いていました。
母は「大丈夫、まだ死なないから」と笑っていました。
小学生になってからは遊びまくって、疲れて寝ることが多かったので死や戦争について考えなくなりました。
それは無意識ではあったのですが、私の恐怖に対する対策だったような気がします。
大人になってからは心配性の自分が嫌で嫌で仕方ありませんでした。
私は30半ばで10歳年下の女性と2回目の結婚をしました。
札幌出身の妻と東京出身の私は仕事の関係で近畿で過ごすことになりました。
子供には恵まれませんでした。
子供もいない、近くに親類縁者もいない二人っきりの生活が20数年続きました。
その頃の私の心配事は妻がいなくなることだけでした。
「二人で仲の良いおじいちゃんとおばあちゃんになろうね。」といつも話していました。
二人でいつまでも穏やかに過ごすことが願いでした。
ところが妻は癌になってしまいました。
癌が見つかってから1年ぐらいでの他界。
私の喪失感は大きなものでした。
一人で泣く毎日。
そのころからシルバーバーチを読むようになりました。
妻が霊界で幸せに暮らしていることを知りました。
妻が幸せであることを疑う必要もありません。
妻が霊界で幸せにしていることを知って、私の心配事は無くなりました。
シルバーバーチを学んで霊界の素晴らしさを知り、愛する妻は先に霊界で幸せに暮らしている。
妻が他界して2年後ぐらいに私は心配事が完全に無くなりました。
ここでシルバーバーチの言葉です。
(ここから)
私は自信をもって皆さんに申し上げますが、この世の中には心配することなど何一つありません。
人間にとって最大の恐怖は死でしょう。
それが少しも怖いものではないことを知り、生命が永遠であり、自分も永遠の存在であり、あらゆる霊的武器を備えていることを知っていながら、なぜ将来のことを心配なさるのでしょう。
不幸の訪れの心配は不幸そのものより大きいものです。
その心配の念が現実の不幸よりも害を及ぼしています。
『シルバー・バーチの霊訓(2)』
(取越苦労性の人は霊的に未熟か)
その通りです。
真理を悟った人間はけっして取越苦労はしません。
なぜなら人生には神の計画が行きわたっていることを知っているからです。
まじめで、正直で、慈悲心に富み、とても無欲の人でありながら、人生の意義と目的を悟るほどの霊的資質を身につけていない人がいます。
無用の心配をするということそのことが霊的成長の欠如の示標といえます。
たとえ僅かでも心配の念を抱くということは、まだ魂が本当の確信を持つに至っていないことを意味するからです。
もし確信があれば心配の念は出てこないでしょう。
偉大なる魂は泰然自若の態度で人生に臨みます。
確信があるからです。
その確信は何ものによっても動揺することはありません。
このことだけは絶対に譲歩するわけにはいきません。
なぜなら、それが私たちの霊訓の土台であらねばならないからです。
『シルバー・バーチの霊訓(6)』
(ここまで)
最後までお読みいただきありがとうございました。
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[氏名]: 事務局 コバチャン本舗




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